左脳障害の理解が深まる(かもしれない)本「奇跡の脳」のご紹介

興味深い本を見つけたので紹介させていただきます。

私が経験したのは左脳中央部の脳出血です。
軽いものではありましたが、発症直後は右半身麻痺そして失語症や記憶障害などの認知障害もありました。
その後幸運にも恵まれ後遺症の大部分が回復しています。
私は思考や記憶が混乱しがちな左脳障害を中から見たという特殊な経験をしたとも言えます。

つい最近、似たような境遇の方を見つけました。
同じ左脳中央部からの出血、私より遥かに後遺症が重く、8年という長いリハビリを経て回復した女性です。

もう一つ大切なことがあります。
彼女はなんと脳科学者だったのです。

「奇跡の脳」はどんな本?

「奇跡の脳」
ジル・ボルト・テイラー(竹内 薫 訳)
新潮社

「My Stroke of Insight」
Jill Bolte Taylor

冬の朝、とある女性が左脳に脳出血を起こしてしまいます。彼女の脳には先天性の脳動静脈奇形があったのです。「考える脳」である左脳が壊れたことで思考や記憶は混乱します。一命は取り留めたものの重い後遺症が残ってしまいました。しかしリハビリが功を奏し8年でほぼ完治。この本にはその闘病の過程が綴られています。

しかしただの闘病記ではありません。脳出血で刻々と変化する脳と思考を脳科学者が内面から観察したという極めて特殊なレポートでもあります。

発症直後、徐々に機能を失っていく脳で脳科学者は何を思ったのか。
後遺症で別人のように変わってしまった脳科学者は一体何を考えていたのか。

脳の専門家の視点で「どうしてそう思ったのか」まで踏み込んで解説しています。

思考や感情への後遺症は目に見える麻痺とは異なり、失った脳の機能を見極めるのが難しく、それ故にリハビリも困難となります。脳医学の知識が乏しい私達であればなおさらです。

なぜ簡単なことが出来ないのか?間違えるのか?
どうして人格が変わってしまったのか?

この本は患者本人とご家族の「分からない」から生じる違和感を解消する手助けをしてくれることでしょう。

脳出血経験者から見たポイント

この本の出版は2009年ですので時代は脳科学ブーム真っ只中。スピリチュアルという言葉が頻繁に使われ始めた頃でもあります。彼女は脳の障害として涅槃の境地とも言える幸福感を得たことが話題になり、本のレビューもソチラ側目線のものも見受けられます。またネットでは現在も「脳科学者が脳卒中で悟りを開いた」という趣旨で取り上げられたりもします。

脳卒中関係者が求めるのは悟りではありません。私がこの本で注目したポイントを挙げておきます。

左脳が止まると全てが抽象的になる

右脳は感じる脳、左脳は考える脳と言われています。

右脳はセンサーである五感を用いて刺激を抽象的なものとしてとらえます。
それを左脳が過去の記憶に照らし合わせラベルを付けています。
そうしてようやく具体的なものとして認識できるのです。

例えば、色、形、感触や匂いが「リンゴ」という情報に適合するからこれはリンゴだ、となるわけです。

このため左脳に障害が残ると、頭のなかにあるのに名前が出てこないという症状が起こります。また神経回路が混線するとリンゴをオレンジだと言い張るようなラベルの選択ミスを起こします。

これは実体を伴わない感情や思考でも同じことが起きています。この気持ちは何であるのかのラベル付けができなくなる、つまり自分の感情でも正しく認識できなくなることがあります。これは私も経験しています。抽象的なマイナスの感情であることは分かるのですが、悲しいのか悔しいのか情けないのかわからなくなるのです。

そして概念も同様です。
時間という概念が無くなると時が感じられなくなります。非常に分かりにくいのですが「明日のこと」と言われても明日とは何かが理解できないのです。
場所の概念がなくなれば通い慣れた道で迷ったり、自分がいる場所が分からなくなったりします。

家族の顔を忘れる、今日が何日かわからなくなる、迷子になるという認知症の症状も同じ仕組みでおきています。家族の顔や道が見えなくなった、もしくは耳が遠くなったわけではありません。右脳、つまり五感は問題なく機能しているはずです。左脳で正しいラベル付けが出来ないことが認知障害なのです。

彼女が障害で得たもの

左脳に重度の障害をもった彼女はどうなったのでしょうか。

時間の概念が無くなる
→過去と未来の不安がなくなる

自分の体の境界という概念を失う
→魂が宇宙と一体化するような感覚

社会のルールを失う
→義務や責任から解放される

脳卒中を罹患した人は自分の現状を嘆き苦しみます。ところが彼女はその悩みまであやふやになったのです。それは世の中の全てのしがらみから解き放たれたということでもあります。

彼女が脳障害で得たものはナント「天国」もしくは「涅槃の極地」だったのです。

私もこれには驚きました。
確かに悩みや不安は左脳が「良くない」と判定をすることから生じます。そこを取り去ってしまえば悩みがなくなるのも理解ができます。同様に欲も無くなるはずです。「どうでもいい」を突き詰めた先にある世界が涅槃の境地なのでしょうか。非常に興味深い体験談です。

脳障害者が何を考えているのか

「あの人の意思や記憶は残っているのでしょうか」
患者の心を理解できないことは介護を計り知れないほど辛いものにしてしまいます。

この本では発症の瞬間からリハビリまで脳障害者が何を考えていたのかが綴られています。それはご家族の願いを無残に砕いてしまうものかもしれません。しかし彼女は欠けてしまった脳を駆使して生きようと足掻きました。そして見事生還した事実は知っておくべきだと思います。

また脳卒中経験者本人も自分への消せない違和感がなんであるのか、その正体を見つけるきっかけになると思います。

私も脳出血で性格がより一層いい加減になったような気がしてなりませんが、「私は〇〇でなければならない」という左脳の論理的な思考が弱まっているのかもしれません。この本を読んでそれに気づけたときはなんだかスッキリしました。以前よりストレスを溜めにくく気楽に生きれるようにもなったので、今のNEWバージョンの私もわりと気に入っています。

健常者であっても環境次第で性格や思考はいくらでも変化します。就職や結婚で急に頼もしくなったり、子供ができると忍耐強くなるのと同じです。些細な違いであれば重く捉える必要はありません。脳障害は「心が作りかけの新築に引っ越した。さて何から手を付けようか」というポジティブで軽い解釈が正解だと思うのです。

リハビリに必要なこと

彼女は看護や介護をする方に向け「最も必要だった40のこと」をリストアップしています。

一部抜粋をすると、

  • あなたの身振りや顔の表情が私に伝わっていることを知っていて。
  • 声を大きくしないで - わたしは耳が悪いのではなく、傷を負っているのです。
  • いくつもの選択肢のある質問をしてください。二者択一(Yes/No)式の質問は避けて。
  • 小さな成功を全て讃えてください。それが私を勇気づけてくれます。
  • 現在のわたしをそのまま愛して。以前のようなわたしだと思わないで。今では、前と異なる脳を持っているのです。

患者の生の声です。
もし介護で悩んでいるのであればこのリストを参考にしてください。

リハビリ期間が極めて長い

リハビリの効果が高いのは半年までと言われていますが、大部分が維持期である8年という長期間でも回復したという事実は私達を勇気づけます。
たとえ高齢の方でも何か新しいことを始めれば、それに見合った脳の回路ができて技能や知識が身につきます。それはリハビリとやっていることは同じです。半年過ぎたら時間切れ、そんな目安がないと医師も患者も踏ん切りがつかないという現実も理解はできます。しかし「絶対に諦めない」と強く思うのであれば、何年経っていてもリハビリは効果があるということを証明してくれました。

的確なリハビリを行っている

認知障害は失った機能の特定が難しく、それゆえにご家族も的確なリハビリが行えていないという問題があります。
しかし彼女の兄が統合失調症であったため母親は脳に対する理解が深かったのです。消えてしまった脳細胞はいくら探しても見つかりません。残った機能をフルに活用し、失った機能はもう一度育てれば同じ娘になる。母親は育児をするようにもう一度娘の脳を組み上げ直したのです。
かなり思い切りの良い考え方ですよね。驚きました。

母親はみんな療法士

彼女のリハビリには悲壮感がなく、何か楽しいモノにすら感じます。介護をした母親は出来ないから嘆く叱るという負の動機づけではなく、出来た喜びを分かち合い楽しみながらリハビリを行っています。実は数十年前に母と赤ん坊として同じことを経験しています。
生まれたばかりの赤ん坊は左脳の認知機能が不完全です。言葉を知らず、湧き上がる感情を判別することも出来ず、論理的思考もできません。その瞬間に受けた感覚だけで泣いたり笑ったりしています。これは重度の認知障害者によく似ています。そうです、母親は誰もが育児で認知障害のリハビリとよく似たことをしていたのです。

リハビリ動機づけは母の愛

「考える脳」左脳が壊れることで彼女は世の中のことわりから解き放たれ、まるで天国にいるような幸福感に満たされてしまいます。もう何も望まないはずです。しかし天国に別れを告げ現世に戻ってきました。何故でしょうか。
母親はもう一度赤ん坊から育てることで機能を回復しようと試み、彼女ももう一度赤ん坊となり母親の愛を受け入れたのです。
リハビリで効果を出すためには本人の強い意志が必須と言われています。しかしリハビリの価値を理解できないほどの重い認知障害があっても、ご家族のアプローチ次第では大幅に回復させることも可能ということを示してくれました。

注意点いくつか

この本を紹介するにあたり、いくつか伝えて置かなければいけないこともあります。

とにかく読みにくい

難解です。
洋書にありがちな一人芝居のような酔った語り口はしょうがないのですが…。

理解が難しい本を読むと私の脳の方に問題があるのではないかという不安がよぎります。それでも勇気を振り絞って本が難しいと言い切ってしまいます。

脳科学者が書いた本ではありますが、精神世界についても書かれています。それは形のないものですのでどうしても抽象的な表現になりがちです。「〇〇のような」という例えをあてがい取り繕うしかありません。私の家のポストにもよく「神が宇宙がエネルギーが」という怪しいチラシが入っていますが、正直なところそれに近いものも感じてしまいます。本当にこれ読み続けて大丈夫かな、とまで思いました。

ただ、脳に障害を受けた彼女がそう感じたのですからそれは大変貴重な情報です。その言葉で表現するのが最も的確だと考えたわけです。例えば文中でたびたび使われるエネルギー、宇宙などの言葉は理系のそれではなく、抽象的な感覚をそのような言葉で表現しているだけです。「宇宙」は正しくは「まるで宇宙のようななにか」です。それを踏まえて読まないとただのトンデモ本になってしまいます。

スピリチュアル的指南書でもある

脳卒中にさほど関心が無い方にとっては、この本は幸福感を得るための指南書としての役割のほうが大きいでしょう。彼女は左脳の障害で自我や時間の概念、どこまでが自分かという境界線、そして自分に問いかけて答えを出す思考を失います。この世のことわりを全て失ったのです。「感じる脳」右脳だけの世界は愛と平和、エネルギーに満ち溢れた宇宙でした。生物として命を繋いでいくためには「生きているという感覚は心地よい」という仕組みが必要だったのでしょう。これが私達人間だけでなく全ての生物に備わった「生きる理由」なのかもしれません。

なぜ生きるのか?
生きているだけで心地よいからだ!

左脳が止まった世界、それが多くの宗教が到達点と考える「涅槃」だったようです。涅槃を目指して行う修行は「考える脳」左脳を一時的に止める訓練なのでしょう。だから共通して「欲を捨てろ(左脳)、考えるな(左脳)、身を委ねて感じるんだ(右脳)」という指導になるわけです。

彼女はこの経験をもとに右脳の重要性を説く講演もしています。

私、本より先にこの講演を視聴しました。最後の危ない伝道師のような振る舞いに正直なところかなり引いていましたが、前述の解釈をすれば理解できると思います。

左脳の考える能力が重視され、損得だけで考えるがために殺伐としている世の中に「みんなもっと右脳で愛と平和を感じようよ」と投げかけています。世知辛い世の中です。時にはアレコレ難しいことを考えることを止め、生きているという幸福を思い出すことも大切です。それが生き続けていくための糧になるのです。

しかし涅槃から戻ってこれなければそれは重度の脳障害者です。誰かが左脳で考えた文明の中で誰かに一生介護をしてもらい、右脳で感じる涅槃に閉じこもって幸せなのは自分だけです。現に彼女も戻ってきています。脳卒中や認知障害という視点でこの本を読むのであれば、このことを忘れてはいけません。

ちなみに私も同じ左脳の出血でしたが、そんな素晴らしい体験はしていません。発症直後も左脳の時間の概念が残っていたからか過去の自分と比較しては悩み、将来を不安に思ったのです。どちらかと言えば地獄ですね。悩みや不安は左脳の大部分が生きていた証なのでしょう。ただ発症直後、命の危機だと言うのに正しい判断ができず、「右手が愉快なことになってる」なんて思いながら呑気にカップヌードルを啜っていたのも事実です。もっと出血が広い範囲まで広がったなら私も「あぁーもう何もかもがーーーどうでもいいーーーー」と幸せに満ち溢れた宇宙にサーッと溶けていったのでしょう。もしかしたらそれが幸福な死「天国」の正体なのかもしれませんね。

そう言えば昔「生きているからLUCKYだ!」と歌い踊る人たちがいましたね。当時は強引なポジティブ変換が滑稽で笑っていましたが、今思うと生物の根源を突く深いメッセージを感じてしまいます。まあ、全裸で股間に葉っぱ一枚という姿なんですがね。yatta!yatta!

えーと、すいません。
また話が脱線してしまいましたね。
こんないろいろなことを私に考えさせてくれた「奇跡の脳」、興味のある方は是非読んでみてください。
ただ前述の通りかなり人を選ぶ本です。まず図書館や本屋でちらっと読んでみることをお勧めします。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

  1. 脳卒中と悟り より:

    はじめまして。
    去年の9月に左脳の脳梗塞になりました。
    その後こちらのブログの存在を知りその後の生活の参考にさせていただきました。
    その際ブログ主様のチャレンジャーな姿勢に大変励まされました。感謝しております。

    今回ブログで取り上げられた内容の件でわたしの体験がもしかしたらなんらかの参考になるかもしれないと思い、ご迷惑かもしれませんが書き込ませていただきます。

    わたしは先にジルボルト・テイラー氏を知りました。
    去年の6月にいわゆる「悟り」というおかしな体験(ジル氏が体験した体験です)をしました。それからこれは脳に関することだろうと調べていくうちにジル氏を知りました。

    そして読了して家人に「近いうちに脳卒中になったらこの本を読んでおいてくれ」と告げた翌日脳梗塞を発症して即日入院、MRIでの検証結果、回復に時間がかかるタイプだと判断されましたが運よく即日点滴後から回復して後遺症もなく、二週間後退院し、その後断酒、ダイエットしてなんとか通常の生活をしております。

    その際にこちらのブログ主様のブログにずいぶん励まされました。ありがとうございます。

    本題ですが、ジル氏の体験はわたしが調べた限りでは現在それほど珍しいものではありません。またわたしが体験した限りではすべての人は悟っているのでその状態は普通です。(ただ目覚めていないとは言えるかもしれませんが)

    わたしの体験を簡単に述べますと、すべては沈黙した「いまここ」から生じていてすべてが分かれていないこと、つながっていること。因果がないこと。つまり占いとか迷信はない。前世も来世もない。死ぬことはなく、ただもとにもどることなど。自分と信じている存在はなくただの子供の頃からの経験上の習慣に過ぎないことなどになります。

    あと人間に使命や目的はなく体験するためだけに生まれてきたのだ知りました。(不謹慎な言い方かもしれませんが、簡単にいうとヒマだから)

    ただ、この体験をすると本来の自分を知ることになり揺り返しが起きやすく病気や出奔(昔は出家などの制度がありました)などしがちです。

    わたしも本能的に感じていたせいか事態を予期していたのでしょう、その後の脳梗塞を受け入れられました。

    この体験をすると怒りや悲しみの感情な消失しますが、歓喜や楽しみも喪失しがちです。慣れればそれほどではありませんが、ただ、こころが「いまここ」に在り続けるためいわゆる「平和」になります。生きるのが楽にはなります。(つねに瞑想した状態にあるため)

    ジル氏がスピリチュアル風に思えるのも無理のないことですが、現在すべての人がこの状況にあり、目覚めている人はかなりの人数にのぼります。けっして特別なものではありません。むしろ様々な脳の病気を体験した方に有益な情報を発信されるブログ主様が特別な方に思えるくらいです。ですから当然ブログ主様も悟られています。

    「悟り」が脳に関係しているのは間違いはありません。それが右脳なのか脳幹なのかはわかりませんが。

    わたしもこれから動脈硬化とこちらのブログを気にしつつ生きていくつもりです。

    ブログ主様もお身体にお気をつけて、これかも有益な情報を発信し続けていただけるとわたしのような者も大変励まされます。

    この駄文がブログ主様含めて、どなたかのなんらかのヒントになればと思い、ブログ主様のコメント欄をお借りしました。失礼します。

    ありがとうございます。

    • ameo より:

      「脳卒中と悟り」様、はじめまして。
      管理人のameoと申します。
      コメントありがとうございます。

      まずはご無事で何よりです!
      脳卒中で後遺症が無いことは極めて幸運です。
      直すべき生活は直し、是非このまま一緒に長寿を目指しましょう!

      詳細な体験談ありがとうございます。やはり左脳障害でジル氏と同じ経験をする方がいるのですね。
      ジル氏の経験は脳の「考える」機能が低下したことで起きています。脳が欠けたことで現れたのですから、その感覚は誰もが持っているはずです。そして気づけていないだけだと思います。

      私もそうですね。目覚めてはいないでしょう。

      自分で経験していないことを真実として触れ回ることは出来ませんので、少しうがった書き方をしてしまいました。しかしジル氏を否定するものではありませんし、感覚的には受け入れています。悟りとはなんなのか、脳で感じたままの抽象的な世界とは、意識の裏に潜む無意識に何があるのか、私も脳障害経験者ですのでとても興味があります。ただその裏でさほど悟りを欲してはいない自分もいます。

      私は認知障害を経験してからこう考えることが多くなりました。

      場所や時間などの概念、今見ているもの、感情や思考、煩悩、自分の存在すら、全てが人の脳に宿るもの。現実も脳の中の幻想であり、私たちは他人と共感できる幻想を真実と呼んでしまっている。であれば私は虫と大した違いはないな、とも。
      「今しかない」という感覚もあります。過去や未来は思考の産物です。私があるのは「今」だけです。だから今の後遺症や老いも素直に受け入れられるのです。いつか来るであろう死も恐怖ではなくなりました。
      外部要因の悩みや苦しみであっても自分を傷つけているのは自分の脳です。今この瞬間を幸せだと思えば幸せになるし、不幸だと思えば不幸になる。脳に何を描くかで全てがどうとでもなる。こう考えることで以前のように心が荒れることもなくなりました。家計は大赤字でも日々穏やかで幸せです。

      悟りやジル氏の体験とどことなく似ているようなことを書いてはいますが、私のは考えて出した結論ですので悟りではありません。しかしこう考えることで悟りによる心の救済も(今のところは)必要ないのです。

      これが今の私です。
      かなり特殊な考え方ですよね。しかしこれが脳出血後の私の根底にあるものです。

      こんな私でも悟りに目覚めることができるのでしょうか。
      悟りを求めればそれもまた煩悩。
      あらら、早速手詰まりです。。

  2. (脳卒中と悟り改め)yoshi より:

    ameo様、お返事ありがとうございます。

    「悟り」は簡単にいうと普段「まさかな」と思っていたことに確信を得られるキッカケなので、だからこそ「誰でも悟っている」と言えるのだと思います。

    ですから、ameo様の今回のお返事の内容や普段ブログで書かれている内容が「マジだったのか!」とご自分が感じる体験ですので、いわゆる「自己の再認識」に過ぎないのです。ですからameo様はすでに知っているのです。

    丁度、脳卒中を体験すると自分を再認識して人生の風景が変わるようものです。でも、実際は何も変わっていないし、体験していない人には言葉で説明しずらいものですから。

    ameo様がリアルで大変な状態にも関わらず、このようなブログでわたしを含め様々な方に勇気を与えるチャレンジの詳細や励ましのお言葉をかけられる姿勢には頭が下がります。ありがとうございます。

    悟りについて追記しておきますと、わたしはどうしてこんな人生を送っているのだろうかということをふと考えている時、突然頭に何かのダウンロードが始まりました。それは三か月後の脳梗塞と似ていました。だから、脳梗塞の際、脳の障害だとすぐ気付けたのでしょう。

    それは本当に一方的で本当にまるで脳梗塞です。すべてが変わりました。なんであんなことしたのかと思っていたことがやりたかったことだったり、まったく不毛の生き方が金色に輝く生き方に変わります。

    そしてダウンロードの最後に「人生終了」の札が脳をよぎるのも似ています。まったくあの時は怖かったです。これから「生きるのか?」とも問われます。(たぶん本来の自分であるこの世の全存在から)

    「生きるのか?」と問われてもまだ死にたくない「自分だと信じている経験」は残っているのでこのときは悲鳴を上げそうになりました。

    で、なんとか「生きる」を選択、人生ゲームは終了したのであとはやり飽きたゲームをもう一回やる状態になりがちです。ドラクエや昔あったウィザードリィというゲームをクリアした後、またやるのに似ているかもです。ただダンジョンを彷徨うだけです。

    そのとき外界にはなんの変化も生じていません。これは目覚めると気づくのですが、元から世界にはなにも生じていないのです。ここもなんとなく脳卒中後の世界風景と似ていなくもありません。

    わたしも後遺症がないように見えて、脳梗塞ですので血管は劣化というか老化しており、再発しても不思議じゃありません。治ることはないですからね。つまり変わっていません。もう50半ばですからしょうがないですが。

    ameo様は「凄腕の脳卒中サバイバー」として「いまここ」に集中しておられる稀有な方ですので本当に感謝し敬服しております。これからもお忙しい中とは思いますが健筆をふるっていただけると勇気がよみがえります。

    「昨日とは過去のもの。明日とは未知のもの。今日の日は儲けもの。それは天からの贈り物」というセリフが「カンフーパンダ」というアニメーションに出てきます。

    この言葉こそが脳にダメージを受けたりその他身体や人生に深刻なダメージを受けたと感じるひとのみならず、すべてのひとに必要な真実の言葉と言えるのではないかと思います。

    ameo様おたがい自分のキャラの身体に留意して丁寧に人生ゲームを楽しみましょう。今はなんとなくそんな時代らしいです。

    それではまた。このブログに出会えたことを感謝しております。

  3. Itsuko M より:

    ameoさん、実は私もこの本、ストロークの後にすぐ手に入れていたの。パパちんが何かの役に立ちそうだと、Amazonで日本から取り寄せてくれて渡してもらってたんです。でも難し過ぎて、文字の意味を追うのに疲れて、結局ベッドの下に捨てられちゃってた。このブログ読んで、持ってたこと思い出して、もう一度読んでいます。

    私にとって、読むってこともなかなか難しいです。読んだそばから忘れちゃうんだもの。例えば、息子に買い物頼むの、なんていう商品だったか覚えきれなくて、ネットで調べて写真つけて渡すくらい。なんでか、ものの意味と呼び名が結びつかないです。

    だけど、ジルさんのTEDの講演、すごく良かった。スピリチュアルというより、ただ単に右脳と左脳の違いがあって、生きてるってことに感謝してればいいんだって言ってくれてる気がしました。昔の自分と変わってしまったことにクヨクヨしてても仕方ない!諦めてしまったら、そこで終わるんだもの。諦めないでいきましょうよ。まだまだ人生長い!自分自身にそう言い聞かせてます。

    • ameo より:

      こんにちは。

      この本、既にお持ちでしたか。
      特に後半が難解ですよね。
      私も完全に理解できたのかは怪しいですよ。

      ただ、誰の脳にも「生きることは楽しい!嬉しい!美しい!」と感じる機能が備わっているという発見は衝撃的でした。
      私達は健常者や過去の自分と比べて悲観しがちです。
      その負の感情で「生きている幸福感」を覆い隠していたのです。
      自分で自分をイジメても得るものなんて何もありません。
      ならば気持ちをプラスに保ち、人生をもっと楽しもう。
      私もそう思うのです。

  4. のんほい より:

    リハビリというとからだが動くことだと考えがちですが、高次脳神経障害分野はOTの方が間違いなくくわしく理解精通して対応してくれるでしょう。とくに認知作業療法はある程度エビデンスがあるので高次脳神経障害の手助けになると思います。患者は混乱もあり自分のことをうまく伝えられずストレスを抱えがちですが若手PTはその点案外正直弱い分野です。

    • ameo より:

      高次脳機能障害は難解ですよね。
      それは「出来るのが当たり前」の若く優秀な方であればなおさらでしょう。
      それぞれに症状が異なり、教科書通りの患者なんていませんし。
      療法士は特に経験が重要な世界なのでしょうね。

      まあ、自分が老い始めると嫌でも理解できるのですが(苦笑)

Itsuko M へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です