2015/02/23 ノルバスクを止めたら変化が

ノルバスクを止めたら血圧の様子が変わった

診察の指示通りに19日朝を最後にノルバスクの服用を止めましたが、21日頃から血圧に落ち着きがなくなりました。
「もしかしてもう治ったんじゃね?」位のノーテンキでしたが甘かったようです。

特に昼の活動期120前後だった血圧が140程度まで上がったり戻ったりと不安定。
起き抜けにベッドで寝たまま測定すると極端に低い血圧値になるはずなのですが、それも135まで上がったり、しばらくすると下がったり。
いままでめったに目にしなかった130台の血圧が頻繁に出るようになりました。

簡単に表現すると、血圧は安静時には下がるけど行動やストレスに敏感に反応して上昇するようになったという感じです。

エースコールを減らしても反応がなかった私にとって、ノルバスクは効果があったようです。

ノルバスクってどんな薬?

ノルバスクはカルシウム拮抗剤と呼ばれる降圧剤です。
この薬はカルシウムが血管に入るのを防ぎ、血管を収縮させないようにするという仕組みです。
最も濃度が高くなるのが6時間後、半減期が35時間と長時間作用する薬です。
薬の効果が薄れた頃に変化が現れているのでノルバスクを止めた影響で間違いないでしょう。

薬の仕組みから考えると、特に「血管を収縮して血圧を上げる」という因子の影響が大きくなることが分かります。
すなわちノルバスクを止めると感情やストレス、寒さなどの反応が敏感になるということです。

感覚的には確かにそのとおりですね。
まあ敏感になるというよりそれが真の姿なんですけど。

さてどうする?

問題は今の状態が正しいのかどうかがわからないこと。
しかしキッチリ安静にすると血圧は下がっているので、基本問題ないと考えるべきでしょう。
本来血圧はこのくらいダイナミックに、そしてデリケートに変化しているものなのかもしれません。

ということでもうしばらく様子見です。

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コメント

  1. 杉原 康夫(昭和17年2月6日生) より:

    こんにちは、初めまして。私は、現在73歳です。68歳の時に視床に脳梗塞を起こしました。翌年69歳で脳梗塞を再発しました。今度は「橋」です。いずれも運動障害です。年とともに歩行が困難というか、右上下半身に痙縮があり、長時間の歩行がつらくなりました、今は週2回リハビリの介護施設に通所しています。
    私の日課は、パソコンによる徒然日誌を書くことです。1か月A415ページでもう6年になります。どうぞお大事にしてください。

    • ameo より:

      杉原さん、はじめまして。
      管理人のameoと申します。

      コメント嬉しいです。
      ありがとうございます。

      橋は脳幹の一部ですよね。脳幹は生命維持の中枢ですので相当に危険な目に会ったのではないでしょうか。私達のような脳卒中患者同士でお話ができるということは、実は幸運の証しなのかもしれませんね。

      徒然日誌の執筆を続けているとのことですが、何かを考えてそれを形にするのは脳にとっても良いことです。日常的に考える習慣は脳の機能維持に必ず役に立ちます。是非続けましょう!
      もし、可能なら周りの人にも読んでもらいましょう。私は発症当時は失語症の影響があり、自分の考えをうまく言葉にすることが出来ずに苦しみました。そんなこともあり、その脳で書き上げた文章を皆さんに読んで頂けるのが嬉しくてしょうがないのです。もう一度受け入れてもらえたような安堵感を感じるのです。今、それが次の一歩を踏み出す力にもなっています。
      少しばかり恥ずかしくもあるのですが、自分で書いた文章をこうして全世界に向けて公開するのも楽しいですよ。

      杉原さんもお大事になさってくださいね。
      私も頑張ります。
      一緒に頑張りましょう!

  2. 杉原 康夫(昭和17年2月6日生) より:

    お返事ありがとうございました。少し私のことを書かせていただきます。
    私が徒然日誌を書くようにになったのは、入院中に記憶が少し思い出せないこともあり
    入院中から、手書きのメモ日記(当初は手も動きました)をつけており、退院してから右半身の痙縮も現れ、パソコンで写真付き日記にしました。

    ① 私の一日の特徴的な出来事、一週間に一度は妻とおいしい店はないかといい
     ながら、いわゆる食べ歩きですね。大津市在住ですが、京都・時には大阪にも
     行きます。妻に車で連れて行ってもらいます。日誌にも載せます。
     今は食べることが楽しみです、日記にも書いていますが、「若い時期」は勉強とか
     苦しい思い出が多く長く感じましたが、「職業生活の半世紀近く」が自己実現が
     できた一番苦しみを超えた楽しい時期でした。「終末期生活」はどれくらいの
     時期かわかりませんが、「退屈で充実感を感じない時期です」今は食欲です、
     あまり量は食べられませんが、それを楽しみにし、徒然日誌の一つのテーマにして
     おります。

    ② その日にあった「社会的・政治的・事件など」をテーマにして、「今日のニュー
     ス」として写真日記として載せています、前日からのニュースゃインターネット
     ニュースなどを探して記事として、時にはコメントを入れながら書いております。
     この時期にこんなことがあったのだなぁと思い起こしながら書いております。
     これは、ボケ防止にもなるのでは無ないかと思っております、体があまり使えないの
     で頭の老化防止としてやっています。昨日は、梅田で大きな事故、人口減少問題、
     シャープが台湾の台湾・鴻海(ホンハイ)傘下に入る問題など

    ③ その他、世の中のことで今まで知らなかったこと、疑問に思うことを調べて書いて います、たとえば今年の2月は閏年でオリンピックの年です、閏年は必ずオリン
     ピックと重なるのか??とか、29日に生まれた方の法律上の問題点とか、疑問に
     思ったことを、つらつらと書きならべております。

    残り少ない余生を自分なりに生きているんだという一つとしての徒然日誌と思っております、再々発の可能性もあり、一日一生のつもりで日々を何とか生きているんだと言い聞かせて徒然日誌は書けるところまで頑張っていきたいと思います。
    お返事ありがとうございました、管理人のameoさんも御身大切に頑張ってください。
    同じ病の情報交換は強い精神力を持ち続けるうえで役に立つと信じております。
    今後ともよろしくお願いいたします。それでは失礼します( ^)o(^ )

    • ameo より:

      こんにちは、ameoです。

      思いを巡らせること、常に新しい情報に興味を持つこと、はじめての場所に行くことなどはリハビリや認知症予防だけでなく、豊かな心で過ごすためにとても大切ですよね。

      私も脳出血で死を現実のものと感じてから、人生のゴールをどう迎えるかを真剣に考えるようになりました。もし長生きが許されるのなら、杉原さんのように知的で穏やかに過ごしたいと願っていたのです。

      しかし、私はまだ40代の小僧ですので隠居するには早すぎです。蓄えも十分ではありません。やり残したこともたくさんあります。今、「人生十分やり遂げた」と言えば嘘になるのです。

      もう少し……あと20年ほどでしょうか、この脳と一緒に頑張らないといけません。杉原さんのように人生の収穫期を楽しむことが出来るように。

      これからも脳卒中仲間として、そして人生の先輩として応援して頂ければ嬉しく思います。
      杉原さんもお体ご自愛ください。

      それでは、また!

杉原 康夫(昭和17年2月6日生) へ返信する コメントをキャンセル

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